一週間前の5月30日、クラチウクレレ教室の生徒を中心とするメンバーで、三十分枠のミニ・ライブに参加した。
我々は計七人で、出番は4グループのなかで最初。二人または一人で一曲づつと、最後に皆で『ハワイ・アロハ』。自分のソロは、最近の持曲『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』を弾いた。三十分枠で収まらないのではという予想だったので、MCは曲名紹介以外は無し、皆が次々に弾いていったら、時間が一杯余ってしまった。
この日は結構風が強く、野外での演奏に慣れない我々にはちょっとやり難かったけど、大きな失敗が無ければ自分的にはOKってことで。良い経験でした。
(前回から続き)
日本では、シャープやフラット付きの音も、それらが付いていない音名・階名で歌う。音名唱法(または固定ド唱法)では、B♭は「シ」となる。それは「シ・フラット」では時間がかかり過ぎて本来の速さで歌えないからだが、BとB♭の区別がつかないのでは「音名を歌って覚えることで暗譜する」為には甚だ不都合である。
他の国ではもっと合理的なソルフェージュを行っているらしい。コダーイ・システムやトニック・ソルファ法では半音違う音にも別の発音を割り当てているので、日本の様に訳が分らないことにはならない。特に、英語圏で使用されているトニック・ソルファ法はとてもシステマティックで、白鍵の Doh(= ド) Ray(= レ) Me(= ミ) Fah(= ファ) Soh(= ソ) Lah(= ラ) Te(= シ) に基いて、黒鍵をシャープとして扱う場合は母音が “e" になった De(= ド#) Re(= レ#) Fe(= ファ#) Se(= ソ#) Le(= ラ#) 、フラットの場合は母音が “a" になった Ra(= レ♭) Ma(= ミ♭) Sa(= ソ♭) Ta(= シ♭)となる。
この素晴しいトニック・ソルファ法を使えば暗譜のための問題は解決!……なら良いのだけれど、残念ながら(私を含む大半の)日本人にとってはそうはならない。英語耳を持たない日本人には、上記のそれぞれの音の発音を使い分けることは困難なのである。そこで、区別して発音出来る様に各人工夫してしているのであるが、そうするとトニック・ソルファ法のシステマティックな利点が崩れてしまい、また、日本におけるトニック・ソルファ法の標準が無いという状態になってしまう。
(続く)
倉知 誠 LUMIX DMC-GF1 / LUMIX G 20mm F1.7 ASPH.
昨日、今池のパラダイスカフェ21に行って来た。 今回の Ukulele Paradise の出演者は、我らが師匠の倉知誠の他、Shintaro、川合ケン、やしの4組。同じウクレレ弾きでも方向性はそれぞれ異なり、使用しているウクレレのキャラクターもかぶってないところが面白い。
ウクレレとギターのデュオ「やし」さんの演奏を実際に聽くのは初めてだったので、特に楽しみにしてた。名古屋近郊で活動をしているウクレレ弾きで、名前は知っているけども演奏を聴いたことがない人がまだ何人か居るので、機会があったらその人達のライヴにも行ってみたい。
今回倉知先生は、先日リリースの自主制作アルバム『Solo Ukulele』収録のオリジナル曲も三曲演奏。同じテーブルになった人に、あの変った音は機材で変化させているのかと訊かれたので、「弾き方で、ああいう音を出している」と言っときましたが、それで合ってますよね?
(前回から続き)
日本では音名も階名も「ドレミファソラシド」だと書いたが、本当は、音名はちゃんと別にある。「ハニホヘトイロハ」というやつだ。確かに、学校で習った気がする。でも、実社会(?)では「ハ長調」や「イ短調」という様な調性の表現に使われる他は、お目にかからない。何故か捨てずにとってあった『中学生の器楽』という教科書を見ると、ギターの開放弦の音高を「ドレミ」で書いてある。教科書の中でさえそうなら、いっそ調性も「ド長調」とか「ラ短調」などにしてほしいものだ。
階名唱法派の人の主張を読むと、本来は階名唱法用に作られた、音の機能を表している「ドレミ」を、音高を歌って覚える為に使うのは何となく引っ掛るが、古臭い「イロハ」を使う気にもなれない。他には、英米式音名表現の「CDEFGABC」を使うことも考えられる。
先日、近くの本屋に『ABC楽譜で表現する ザ・ウクレレ・ソロ 日本の名曲・世界のポピュラー名曲集』という本があったので、「ABC楽譜ってなんだろう?」と思って手に取ってみた。この「ABC楽譜」というのは、オタマジャクシの五線譜以外に、メロディーを英米式の音名で書いてある楽譜ということらしい。慣れていないことも大きいと思うが、アルファベットの長い並びは、分り易い気がしなかった……。しかし、(広義の)ポピュラー音楽ではコードネームの表現はこの英米式(C、Am、 G7など )であり、音名も統一すれば便利なことも多いだろう。では、「ABC」で歌って音の高さを覚える暗譜が良いのだろうか。
「固定ド唱法」というのは英語の “fixed do solfege” の訳であるが、「ABC」という音名が有るのに、どうしてアメリカやイギリスでも、ドをCに固定した「ドレミ」で歌うのだろうか。その理由がはっきり書いてある Web ページや書籍を見付けていないので個人的予想だが、「CDEFGABC」ではメロディーを歌い難いからではないか。Fは「エ・フ」という二音節だし、他は「エー」や「ディー」の様に音を伸ばすので、音符一つ一つを音名で歌おうとすると忙しいことになってしまう。
それに対して「ドレミ」は、そもそも歌うことを目的に作られたものだから、当然歌い易い。曲を歌って覚えるために使用する音名の形式は、結局「ドレミ」ということになりそうだ。これは日本で普通に行なわれていることであろう。ただし、「ドレミファソラシド」だけでは音の違いを表現しきれない。それが日本のソルフェージュの問題で、他所の国はちゃんとその問題に対応しているのである。
(続く)
聴いたり想像したりした音の高さが瞬時に判れば、暗譜はかなり楽なんじゃないかと思う。残念ながらそれは(今のところ?)出来ないので、音名を歌って覚えることで、その代りにすることを試みる。
ところで、多くの国では音名と階名が明確に区別されているが、日本では音名も階名も「ドレミファソラシド」である。正直言って、学校で習ったことは良く分らなかった。あれが何だったのか、最近ようやく理解した。日本の音楽教育は酷いと思うところがいろいろある。
音名で歌う(覚える)のが良いのか、それとも階名で歌う(覚える)のが良いのかと考えたのだが、「ウクレレで楽譜に沿った演奏をする」のが目的ならば、音名で歌う方(固定ド唱法)が良いかなと思う。変換しながら弾ける気がしないし。
しかし、所謂「絶対音感」が無い私にとっては、音名の長い文字の並びを覚えるのは易しいことではない。間違って歌っていても違和感が無くて、暫く気付かない。ハ長調の曲でも平気で出鱈目に歌えてしまう……。本当の絶対音感は、子供の頃に訓練しないと持てないそうだが、疑似的なもので良いので、この練習を続けたら身に付かないものだろうか。
(続く)
楽器が弾けるということの到達点は何だろうか。実現性を無視して究極的目標を考えてみると、自分にとってのそれは「頭の中で鳴らした音楽を、鼻歌でも歌う様に、苦も無く実際に演奏して再現出来る」ということだ。
現世で実現出来る自信はないが、一応、方向だけはそれを目指すということで、そっち向きで暗譜の練習方法を考える。
曲のメロディーを覚えて、鼻歌で歌うことが出来る様にする
楽譜を見ることなく、メロディーを音名で歌える様にする
覚えたメロディーを楽譜にすることが出来る様にする
楽譜を見ることなく、メロディーのみの演奏が出来る様にする
何も見ずに、メロディーの楽譜にコード・ネームを書き加えることが出来る様にする
各コードのディグリー、機能を書くことが出来る様にする
伴奏として弾くコードの音を、音符としてメロディーの楽譜に書き加えることが出来る様にする
楽譜を見ながら、完成形で弾ける様にする
何も見ずに、完成形で弾ける様にする
以上を第1項より繰り返す
「一年の計は元旦にあり」というが、もう三月も結構過ぎてしまっている。でも、レッスンは四月から始まったので、まだ遅くないということにして、この一年はこんな方針で練習をして行……きたいなぁ……。
『暗譜』には幾つかのの方法があるそうだ。暗譜の不思議というページはそれを「ダンス暗譜」、「音感暗譜」、「理論暗譜」と分類して紹介している。私はピアニストではないので、暗譜をするようにと指導を受けている訳ではない。だが、なかなか本番では楽譜を見ることが出来ず、ここで言う「ダンス暗譜」で弾いてしまっている。そしてこの「ダンス暗譜」の問題点の説明は、自分にいみじくも当て嵌る。「ダンス暗譜」の弊害を避けるには、他の方法をメインに暗譜するか、あるいは暗譜を行わないで弾ける様にするか、ということになるのだろう。
「暗譜を行わないで弾く」というのは、「楽譜を見て得た情報から瞬時に動きを決定する」という感じか。(ダンス暗譜も暗譜だというなら、練習を行う限り、完全に「暗譜を行わないで」というのは出来ない気もするが。)仮にそんな初見演奏的な能力を高めて、暗譜をしないことで演奏会で失敗なく弾ける様になったとする。それは凄いことだけれど、果してそれで満足かというと、違うなぁと思う。
演奏会で成功することが目的でウクレレを弾いているのではない。ウクレレを自在に弾ける様になりたくて演奏会という機会を利用しているのだから、演奏会だけ上手くこなせる様になってもしょうがない。どうなったら「ウクレレを自在に弾ける」ことになるのかと考えてみると、自分の中に曲を取り込むということは避けられそうにない。だから、「ダンス暗譜」以外の方法で曲を覚えるにはどうしたらいいのか、覚えた曲はどうやったら淀み無く演奏出来るのかということが問題で、これらをクリアしない限り、今後自分は大してレベルアップ出来ないだろうと思う。
他の楽器奏者はどんな練習をして演奏に臨むのだろうか。例えば、ピアノを弾いている人は?
コンサートやコンクールでは、ピアニストは楽譜を見ていない。暗譜して演奏する。実は、最初からそうだった訳ではないらしい。シューマンの奥さん、クララ・シューマンが暗譜して演奏することを始め、楽譜を見ないで演奏するのは恰好良いということで、定着していったという。そして、楽譜を見ながらのピアノ演奏は、練習が足りてないと評価される様になった。
あの膨大な数の音を発する演奏を行なうピアニスト達は、一体どんな風に曲を覚えているのだろうか。それを参考にすれば、演奏中に次にどう弾けばいいか分らなくなるという様なことを無くせるのではないか。そう思って、『暗譜』というキーワードで検索してみた。 そこから分るのは、意外なことだった。
大半のピアノ奏者にとっての暗譜の方法は、「体が自然に動いて無意識に弾けるまで、緊張しても失敗しない程、何度も弾く」というものであるらしい。何の事はない、(質や量は兎も角)自分のやっていることと同じではないか。自分は反復によって体に動きを覚えさせて演奏出来る様になることを、「曲を覚えた」とは考えても「楽譜を覚えた」のだとは考えたことはない。なので、「暗譜」という言葉がそういうことを(も)差すとは思わず、暗譜をしたピアノ奏者は皆、どの音をどんな順番で弾くのかという情報を記憶しているのだと思っていた。
どうもこのところ、演奏会での出来が悪い。同じ曲で回を重ねる毎に弾けなくなっていっているという、困った状況だ。
ある曲を弾ける様になるためにはまず、楽譜と睨めっこしながら一音づつ読んで弾くことから始めるが、練習を重ねると、フレットの押えるポジションや弾く弦のパターンを体がだんだん覚えて行き、あまり意識しなくてもフレーズを弾ける様になる。そしてそれが継がって、楽譜を見なくても曲を通して弾ける様になる。
体に染み込ませる、体で覚えるというのは、一見とても良い事みたいだが、あまりにも反射的、自動的な『運動の記憶』に頼り過ぎていて、普段は何ということもないのに、人前で畏まって演奏するときには次の『動き』が分らなくなってしまうということが起きる。そしてそういう失敗は、弾いたことがある曲が少なかった以前よりも、今の方が起き易くなっているのではないかとも感じる。
どうしても失敗したくないときは、多少の緊張でも『運動の記憶』の方が勝る程に練習を反復することで何とかしてきたが、レパートリーが増える程に困難が増すのでは、限界がある。ていうか、正直しんどい。もう、違う克服法が必要になっているということだろう。
今日、Cafe Comodo でクラチウクレレ教室の演奏会があった。
今回は「テネシーワルツ」のソロ・バージョン。以前も Comodo で「テネシーワルツ」を弾いたことがあるが、そのときはデュオだったので、一人がメロでもう一人がコードを弾き、二番で交代するという弾き方だった。それを同時にこなすため、難易度がアップする。ただ、相方に迷惑をかける心配がないので、気が楽な点もある。どっちもどっちかな。
相変らず綱渡り的な危うさながら、最後まで持ち堪えたという出来で。もうちょっと落ち着いてから弾き始めた方が良かったな。
今年はちょっと早めだったけど、この演奏会が終わると、もう今年も終わるんだなという気がしてくる。