Mac mini が届いて、環境のお引っ越し中。このウエブログのアップロード環境も移したので、テスト書き込みです。
通勤途中に、イーオンの英会話のポスターが貼ってある場所がある。坂口憲二と加藤あいのポスターなのだが、あのドラマ仕立てのシリーズCM、キャストが替わったけど、坂口と水野美紀とはどうなったのでしょうかね。
そこには他に、金髪の女の子の写真を使った子供向けの英会話教室の『イーオンキッズ』のポスターが貼ってあって、実はそちらの方が気になる。何が気になるって、坂口憲二や加藤あいのポスターは、あんなCMの様に英会話を学びたいとイメージを自分と重ねさせようとするのが狙いだろうが、イーオンキッズの方は、受講しても金髪になったり欧米人顔になったりしないし、外国人講師の中には子供は居ない訳で…
このポスターの前で信号待ちをするとき、見たことがない人が家に入って来て驚く父親に、実はエステから帰った娘(直美)の役であるナオミ・キャンベルが答えた、あのCMの「ナオミよ〜」という台詞が頭に浮かぶのだ。
以前は私のヘヴィー・ローテーションだったサイト、Yos さんの Club Newton が復活している。お帰りなさい。
そのClub Newtonに、Einstein の設定が解説されている。
・Newtonサポーターへ - Einstein の設定
私にとっては、ROM Dumper で ROM イメージを吸い出すことよりも、ROM Dumper を実機にインストールする方が大変だった。
Escale OSX や Delivery でインストールを試みたが、何か間違っているのか、上手くいかない。結局、Classic 上で NCU を立ち上げてインストールに成功したのだが、それも紆余曲折があった。
MP2100 用に Farallon の LAN カードを持っていて既にドライバも入れてあったので Ethernet で繋げるものの、今使っている iBook にはモデムポートやプリンタポートがない。困ったことに、NCU はこれらのポートが無いと動作しないのだ(多分)。それで、PortShare Demo をインストールして、仮想ポートを作る。
参考: Newton@ > Mac OS X と Newton 良し、パッケージを選んでインストールだ…と思ったが、ROMDumper.pkg が選べない…。NCU が Newton にインストールするファイルだと認識出来ないらしい。そこで、Packager というアプリケーションで NCU が認識するようにした。Packager をインターネット上で探したが、見つけられなかったので(注:落ち着いて見たら、上記リンクでちゃんと紹介されています。とても役立つページです。)、何年も前にダウンロードしたものをバックアップ用にハードディスクから探し出し、ROMDumper.pkg をドロップしたところ、NCU が認識してくれた。以前は何に使うものなのか解っていなかったが、こういうことだったのね。
という感じで苦労したが、ROM イメージを吸い出すことに成功した。
iPod の大ヒットで、Apple社がギョーカイの人やマニア以外からも注目を集めるようになった。新製品の iPod shuffle や Mac mini もヒットすることだろう。それは喜ばしいことだが、「なんか、ちょっと違うんだよね」という気持ちもある。(マニアだから?)
iPod が受け入れられたのは、Apple の『センス』の良さを分かりやすく示すことが出来たからじゃないだろうか。他社と比べて、特筆すべき技術を使っているというわけではなく、技術の組み合わせ方や切り捨て方に妙がある。
iPod とは対照的に(ソフトウェアの)技術的革命を目指した『Newton』は、ハードウェアの能力が追いつかず、市場に受け入れられなかったプロジェクトだ。開発、生産が打ち切られて久しいが、他社の製品に納得出来ない熱心なファンはMessagePad等を使い続けている。それでも、ハードウェアには寿命がある。壊れてしまえば使用出来なくなってしまう。そこに『救世主』が現れた。
Paul Guyot氏の『アインシュタイン・プロジェクト』がNewtonのエミュレータを公開した。まだ開発途上だが、すでに操作が可能だ。自分でも動かしてみた。
今後、JITコンパイラ技術(ダイナミック・リコンパイル)を採用して高速化も図られるとのこと。完成が待ち遠しい。
どうも当ブログの主旨が変わってきた気もするが、4月ぐらいには釣りがメインに戻るのではないかと…思ったり、思わなかったり。
その日、ホーチミンは暑かった。多分いつでも暑いのだろう。
観光客は普通、オプション・ツアーに参加して郊外に行っているか一生懸命買い物に励んでいて、日中はホテルになんか居ないものだろうが、喧しくて空気の悪い、横断歩道など全く役に立たないこの街を乗物にも乗らずに歩き回ってバテたので、ホテルの部屋に戻って少し休むことにした。
ホーチミンは夜になっても交通量が減らず、通りに面した部屋では騒音でなかなか寝られないという話も聞くが、そのとき泊まっていた部屋は静かな中庭側で、快適だった。
部屋に戻って暫くすると、大音量の音楽が響き渡った。ナンダ?ナンダ?と部屋から出てみると、中庭でパーティーをしており、どうやら結婚披露宴の様だ。こちらの披露宴は生バンドの演奏付きらしい。
最初はプロが歌っている様だったから、まだ良かった。途中から『カラオケ』ならぬ、生バンド演奏『のど自慢大会』の様相を呈してきて、順番が後になる程アルコールが効いてきているのか、凄まじい歌唱力に。とても休息にならなくなって、たまらず灼熱の街中観光に戻った。
他のホテルのことは分からないが、REXでは自分が泊まっている間、毎日何組もこんな結婚披露宴が行われて、新郎新婦が招待客と談笑する様子をよく見掛けた。
先週の金曜日、自宅の家族から電話がかかってきた。なんでも、宅配便業者が荷物を持って来て、代引き料金が8千幾ら、と言ったのだそうだ。
「荷物が届くとは聞いていないので、今は受け取れない」とインターホン越しに言うと、「昨日の夜配達の予定だったけど手違いで遅くなった」と言ったそうだが、それでも受け取らなかったので、「また夜8時半頃、配達に来る」と去ったらしい。
荷物は本だと言ったそうだが、はて? なんかバックオーダーになっていたものがあったっけな。しかし、代引きなんて極力使わないようにしているし…。相当怪しそうだ。詐欺だったらもう来ないのだろうが、本当の宅配便業者を利用して送りつけるなんてこともあるのかもしれない。家族に気をもませてはいけないし自分で対応しようと、太極拳教室に行かずに帰ることにした。
結局、その夜も、翌日からも、その『宅配便業者』は現れなかった。しかし、感心するというか何というか。8千円ぐらいってのは専門書やDVDなんかを何冊か買ったりすれば、あり得る金額だし、あまり警戒されずに払う上限なのだろう。それに私をターゲットにするというのも、なかなかリサーチが出来ているではないか。前日に大学の名簿を買えという葉書が、大学と全然関係無いところから来ていたし(そんなもん、今更いるかよ)、個人情報が新たに名簿業者から出回っている様だ。
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『魚釣り』というのは、言うなれば、魚に対する『詐欺行為』である。いま餌を食べていそうな奴を狙うとか、いつも食べていそうな餌に似せるとか、なるべく違和感を抱かせないとか、ちょっと焦らせたりして吟味の時間を与えないとか。まあ、やっていることは同じ様なものだ。サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでゆく』に、
僕は蝸牛になるより、雀になりたい。
そうさ。もし出来るなら。絶対になりたいんだ…
僕は釘になるより、金槌になりたい。
そうさ。もし出来るなら。絶対になりたいんだ…
という歌詞がある。私も、もし出来るなら魚になるよりも釣り師になる方が良いと思うが、詐欺師にはなりたくない。人を『食い物』にしないで、そして、何とかされずに生きて行きたい。金槌も、釘も、どちらも嫌だ。(でも、魚を騙すのは可。)
…とマックが言ったかのかどうか知らないが、マックがミニサイズになって登場した。
・Mac mini
ディスプレイ分離モデルとしては、生産『休止』となった Cube 以来久しぶりの省スペース型。現行のラインナップの中に『リーズナブル』なモデルが見つからず、初代 iBook から更新出来ないでいた私としては嬉しい製品だ。で、ご購入に。
キーボードやマウス、ディスプレイを別に用意しなければならないが、どのみちMacに付属するキーボードやマウスは気に入らないので、他の機種を買った場合にも買い替えることになったはずだ。別売りの方がゴミが増えなくて良い。ディスプレイも、iMac G5 の20インチ・モデルの様にバカデカくなく、17インチ・モデルの液晶より高品質なものが選べる。
正方形のデザインから Cube を連想する人が多いと思うが、私はロジック・ボードの画像を観て、以前使っていた LC III を思い出した。LC III はスリムな『ピザ・ボックス』スタイルで、外見だけでなく内部もシンプルで美しいモデルだった。やっとあの頃の、要求性能と実装技術のバランスが戻って来たんだなと思う。
次のモデルの LC 475 で、採用した FDD の都合か、フロッピー差し込み口のデザインが変更になり、その後は CD-ROM ドライブを内蔵する必要が出来たり、CPU が PowerPC になったりで、デザインが段々おかしくなっていった。それから iMac が登場するまで、Mac のデザインは散々だった。
Mac君、もう「スーパーサイズ・ミー」とは言わないでほしい。そういえば昔、『Fat Mac』という通称のモデルがありましたね。
香港の話を聞くと、『TOMOKO GOES TO STUDIO』という曲で「あー、香港に行きたい!」と叫ぶ、種ともこ を思い出してしまう。検索してみるとオフィシャル・ホームページもあって、現役で活動中の様子。最近はどんな歌を歌っているのでしょうかね。
この人は香港に強い思い入れがあるみたいで、初期のアルバム『Ché Ché-Bye Bye』に、そのまんまの『相合傘の香港』、曲がつながっているから多分これも香港が舞台の『ねぼけてChina Town』がある。私は香港に行ったことがないから分からないが、これらの曲が実際の香港のイメージに近いかと言うと、何かちょっと違う様な…
このアルバムのタイトル・チューンになっている『謝々 Bye Bye』。中国語の「謝謝」の意味はご存知のように日本語で「ありがとう」で、私は去年の四月からラジオ中国語講座を聞くまでは、ずっとこれを「シェイ シェイ」と発音するものだと思っていた。大半の人はそうじゃないかな。種ともこ だってそう歌っているぞ。
でも、実は違っていたのである。知ってました? 「謝謝」は「シィエ シィエ」(に近い発音)だったのだ。我々の今までの『常識』は一体何だったのだろう。標準中国語以外で「シェイ シェイ」と発音する方言(?)があるのだろうか。誰か教えて下さい。
(続き)
『総合格闘技』戦でそれぞれの武術そのものの優劣は決められないなんて言えば、一見、「個性が大事だ。優劣を重視するのは間違い」という感じの、ちょっと前に流行ったあの歌の歌詞の様だ。でも、武術を用いるときに優劣はどうでも良いなんてことはあり得ない。「あるルールを設定したときの優劣は、そのルールに対する適応度の差でしかない」と言っているのである。
『総合格闘技』が殴っても、蹴っても、掴んでも、投げてもよくて、関節技も使ってもいいなら、後はどうルールを広げればいいんだい? 太極拳が真価を発揮すると考えられていた状況とは何なのか。この本によると、太極拳は相手が複数で、しかも武器を持っている状況を想定しているということらしい。それだけではない。自分も可能な限り武器を用い、素手で闘うのは止むを得ないときだけという。
結構、衝撃的だ。太極拳を愛する皆さんの怒る様子が目に浮かぶ様である。でも私は、その考えは中国の人の発想として納得出来る気がする。例えば以前、『太極十年不出門』の解釈について書いたが、精神論を打ちたがる日本人とは違って、中国の人はもっと実利的、現実的に物事を考えるのじゃないかと思うのだ。
他にもなかなか面白いことが書いてあるのだが、あまりネタをばらすのもどうかと思うので、この位で。ところで、『世界に一つだけの花』を日本のアイドルNo.1であるSMAPから聞かされることに、物凄く違和感を感じるのは私だけなのだろうか…