釘と金槌

先週の金曜日、自宅の家族から電話がかかってきた。なんでも、宅配便業者が荷物を持って来て、代引き料金が8千幾ら、と言ったのだそうだ。

「荷物が届くとは聞いていないので、今は受け取れない」とインターホン越しに言うと、「昨日の夜配達の予定だったけど手違いで遅くなった」と言ったそうだが、それでも受け取らなかったので、「また夜8時半頃、配達に来る」と去ったらしい。

荷物は本だと言ったそうだが、はて? なんかバックオーダーになっていたものがあったっけな。しかし、代引きなんて極力使わないようにしているし…。相当怪しそうだ。詐欺だったらもう来ないのだろうが、本当の宅配便業者を利用して送りつけるなんてこともあるのかもしれない。家族に気をもませてはいけないし自分で対応しようと、太極拳教室に行かずに帰ることにした。

結局、その夜も、翌日からも、その『宅配便業者』は現れなかった。しかし、感心するというか何というか。8千円ぐらいってのは専門書やDVDなんかを何冊か買ったりすれば、あり得る金額だし、あまり警戒されずに払う上限なのだろう。それに私をターゲットにするというのも、なかなかリサーチが出来ているではないか。前日に大学の名簿を買えという葉書が、大学と全然関係無いところから来ていたし(そんなもん、今更いるかよ)、個人情報が新たに名簿業者から出回っている様だ。

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『魚釣り』というのは、言うなれば、魚に対する『詐欺行為』である。いま餌を食べていそうな奴を狙うとか、いつも食べていそうな餌に似せるとか、なるべく違和感を抱かせないとか、ちょっと焦らせたりして吟味の時間を与えないとか。まあ、やっていることは同じ様なものだ。サイモン&ガーファンクルの『コンドルは飛んでゆく』に、

僕は蝸牛になるより、雀になりたい。
そうさ。もし出来るなら。絶対になりたいんだ…

僕は釘になるより、金槌になりたい。
そうさ。もし出来るなら。絶対になりたいんだ…

という歌詞がある。私も、もし出来るなら魚になるよりも釣り師になる方が良いと思うが、詐欺師にはなりたくない。人を『食い物』にしないで、そして、何とかされずに生きて行きたい。金槌も、釘も、どちらも嫌だ。(でも、魚を騙すのは可。)