『世界に一つだけの花』ではなく
(続き)
『総合格闘技』戦でそれぞれの武術そのものの優劣は決められないなんて言えば、一見、「個性が大事だ。優劣を重視するのは間違い」という感じの、ちょっと前に流行ったあの歌の歌詞の様だ。でも、武術を用いるときに優劣はどうでも良いなんてことはあり得ない。「あるルールを設定したときの優劣は、そのルールに対する適応度の差でしかない」と言っているのである。
『総合格闘技』が殴っても、蹴っても、掴んでも、投げてもよくて、関節技も使ってもいいなら、後はどうルールを広げればいいんだい? 太極拳が真価を発揮すると考えられていた状況とは何なのか。この本によると、太極拳は相手が複数で、しかも武器を持っている状況を想定しているということらしい。それだけではない。自分も可能な限り武器を用い、素手で闘うのは止むを得ないときだけという。
結構、衝撃的だ。太極拳を愛する皆さんの怒る様子が目に浮かぶ様である。でも私は、その考えは中国の人の発想として納得出来る気がする。例えば以前、『太極十年不出門』の解釈について書いたが、精神論を打ちたがる日本人とは違って、中国の人はもっと実利的、現実的に物事を考えるのじゃないかと思うのだ。
他にもなかなか面白いことが書いてあるのだが、あまりネタをばらすのもどうかと思うので、この位で。ところで、『世界に一つだけの花』を日本のアイドルNo.1であるSMAPから聞かされることに、物凄く違和感を感じるのは私だけなのだろうか…