今年もフラレレに「倉知ウクレレ教室」チームで参加してきた。大会関係者の心掛けが良いのか、このイベントで天気が悪かった記憶がない。今回もとっても良い天気(暑い)。イベント会場にずっと居ると暑さに負けて倒れてしまいそうなので休憩場所に留守番の様に長居をしていてあまりわかっていないが、日程が他のウクレレイベントやフライベントと重なっているらしく、クラチ・チームだけでなくイベント全体も参加者が例年に比べて少なかったみたい。
カメラを持っていかなかったので、自分では写真を撮っていない。たまにはイベントの契約フォトスタジオの写真購入も考えてみるか。三枚撮った集合写真は、皆で一枚目が「F」、二枚目が「G」、三枚目「C」のコードを押えているので、何枚目が採用されたのかが分る。さて、どれになったかな。(あれ? 「G7」だったっけ?)
同じく「倉知ウクレレ教室」チームで参加したウクレレ仲間の方に写真を送っていただきました。
T. N. さん撮影 GR Digital
今年もやって来ました、夏の演奏会。
今年選んだ曲は、徳永英明の『Rainy Blue』。梅雨真っ只中故のこの選曲だったのだが、空梅雨で「狙いを外した」感一杯。演奏は実力比90%は超えたであろうので、満足の出来と言える。(上手いかどうかはまた別の話。)今回は打ち上げ飲み会を企画してくれた人がいたので、演奏会参加者の一部とウクレレ談義(か?)で盛り上った。
相変らず仕上がりは締め切りギリギリだった。というか、本番で仕上がった様な気もしないでもない。今回は燃え尽きて灰になるほど練習した訳ではないが、しばらくレッスンも無いので、ウクレレ演奏以外のことをしよう。とりあえず、買っておいた『カラスの教科書』を読む。
今年のクラチウクレレの冬の演奏会はちょっと早かった。12月2日だとクリスマス気分はまだ盛り上がってないということもあるが、何より練習時間が足りてないという問題が。11月には毎週いろいろ予定が有って、曲がなかなか仕上がらなくてピンチだった。
今回選んだ曲は「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」。以前も弾いたことがある曲だが、前回はボサ・ノバのアレンジだったのに対して、今回は4ビートのジャズ・バージョンで、弾き込んだ曲を別のリズムで弾くということに意外に苦戦した。
会場が ABC Cafe になってからなかなか満足する演奏が出来なかったけど、やっと慣れてきたのか今度はまあまあ。コードを忘れて適当に弾いて誤魔化した箇所があったが、あまり気にならなかったらしい。甘めの採点で、出来は75点ぐらいかな。
さて、これで一息ついたので、最近の他の出来事についても思い出して書いてみたい。
未だ左手の指を個別に動かすのが苦手なので(特に薬指)、「ハイコード+メロディの音」の形を作っても音が上手く出ない。特に朴葵姫の様な一流の奏者でなくても手の小さな子供がギターを弾き熟すのだから、ギターより小さなウクレレだったら成人男性の手で弾けないはずがない・・・よな。
という訳で現在練習意欲が高まっており、前から存在は知ってはいたが無視していたキヨシ小林著『ウクレレ・メソッド 各指のための効果的トレーニング・ブック』を買ってみた。ウクレレ用教本では珍しい基本練習集だが、指の分離動作の練習に関してはギターのための練習と同じと考えれば良いみたいで、ネット上の動画を参考にすれば必ずしも本を買わなくてもトレーニング出来そうだ。例えば:
左手の指を自由に動かすためのトレーニング:初心者ギター講座 ギターレッスン 【左手を10倍器用にする練習方法】 など。但し、解説のなかのギターにしか当て嵌まらない部分を取り除いて考えなくてはならないだろう。
本当は最初からこういう基礎練習をするのが良いのだろうが、地味な練習なので、行き詰まって必要を感じる様にならないと出来ない。けど、ちょっと始めるのが遅過ぎだかな。ずっと行き詰まっているんだから。
三連休の初日だった土曜日、クラチ・ウクレレのメンバーとして皆と名古屋ハウジングセンター春日井会場でウクレレを弾いた後、名古屋へコンサートを見に行った。この日は名鉄ホールでウクレレ界のスーパースター、ジェイク・シマブクロのコンサートがあったのだが、自分が行ったのはのジェイクではなく、クラシックギター界の美しき新星こと、朴葵姫(パク・キュヒ)のコンサートだ。
大ファンなので、演奏後のサイン会の長蛇の列に並び、握手までしてもらって、キモいオヤジ状態になっていたが、その彼女の手の小さかったこと!
自分は「手が小さいからギターを弾くのはとてもじゃないが無理で、挫折はほぼ必然だった。でもウクレレなら出来るかも」という気持ちでウクレレを始めた訳だが、握手のことを思い出す度に「手が小さいのが弾けない原因ではなく、単に努力や工夫が足りなかっただけだ」という事実を突き付けられている様に感じる。(ファンとして握手してもらったことを純粋に喜べないのはもったいない様な、でも容姿だけではなく演奏家として評価しているからだと考えればこれで良い様な… )
クラチウクレレのメンバーとして8月4日に 内海の HulaLele Summer、翌週の11日には 蟹江町の Aloha de 一番街に参加してきた。(写真は Aloha de 一番街での倉知先生)
パスさせてもらった年もあったけど、何回も参加した両イベント。基本暇な人なので出席率が高いために「お役目」を貰う様になってしまって、酒を飲む目的で気楽に参加とはいかなくなってしまった。HulaLele では上手くいかなかったのだけど、一番街の方は一応役目を果した・・・と思う。
今年の Aloha de 一番街は雨でどうなることか(というか、演奏中止だろう)と思ったが、控え室用テントを舞台の上に運んで強行開催。だんだん雨も止んで、結果オーライな感じに。
今日はクラチウクレレの夏パーティーだった。自分の今回の曲は “Left Alone” 。このところ負け(の気分)が込んできたので今度こそと挑んだが、自己評価45点ぐらいの出来だった。もう五割打者とは言えず、三割に近い。
今回はオープニングとフィナーレの合奏の「音頭取り」を任されてしまったので初っ端から舞台に上って弾いたため、自分の演奏の番には慣れてあがることはないのではと思ったのだが、関係無かったというか余計悪かったというか、力が抜けず指が滑かに動かせられない。演奏が瓦解する前にアレンジを取り止めて、繰り返しも少なくして終ることに。エンディングに辿り付けて良かったなぁというぐらい。
今回も「負け」気分から半年後の演奏会へ出発することになった。が、取り敢えずは暫く休んで、釣りにも行きたい。
日曜に Cafe Comodo であった「倉知誠 春のウクレレコンサート」に行って来た。そこで無茶振りで頼んだウクレレ模様の抹茶ラテ。
なかなか良いでしょう。
私はこれを飲みつつ師匠の奏でる美しい音楽を聽き、自分の目指すべき演奏についてちょっと考えた。
(続き)
『ギター演奏法の原理』は当然、ギター演奏について分っていないと内容がよく理解出来ない。だから動作の各論についてはあまり分らないけれど、力の使い方について総論的には「指だけを使うのではなく、腕などの強い筋肉を持つ身体の部位を使用せよ」、「そのためには『関節の固定化』を利用せよ」ということの様だ。『関節の固定化』とは、ある関節を動かなくして他の部位の動作や動きを伝える“媒介”の役割を果す様にするということだと言う。
親指と他の指を対抗させ摘む力で押弦をすれば、これは指の力で行っていることになる。押弦に上の方針を適応するなら、手首や指の関節を『固定化』して、例えば腕の力で引っ張れば良い。このとき、親指は押弦に関して補助的な働きしか行わない。だから他の指の反対の位置にする必要はない。腕の力を効率良く伝えるためには、手首はなるべく曲げない方が良いだろう。指は、指先が指板に垂直に近くなる様にする。
手で握りこむ力や指で摘む力で押弦しないとしても、腕の力を伝えるために指の関節を固定化しておくためにも力は必要である。それで疲れてしまうのでは意味がない。ここで、先に書いた握力について思い出してほしい。握力には「クラッシュ力」、「ピンチ力」、「ホールド力」と三種類あるという話であった。「握ったものを保持する力」であるホールド力というのは、つまり関節を固定化した状態を保つ力だと思う。例えば(それ程重くない)鞄を長い時間持っていられる様に、ホールド力は持久させることが出来る。だから、指の関節を固定化させる力の使い方の方が、クラッシュ力やピンチ力によって指自体で押弦するよりも疲れないはずだ。
さて、上手いウクレレ奏者は実際にこの様な押弦を行っているだろうか。この推測、外見からは結構良い線いっている気がする。 左手の親指は大抵、他の指よりかなりヘッド側にあることが多く、ネックに軽く添えているだけに見える。この形は両側から押して挟むのには効率が悪いはず。手首もあんまり曲げてない。ただ、「指の力は要らない」という話は聞くけど、「腕で引っ張っている」というのは聞いたことがない。ちょっと無理矢理考えると、腕にとっては押弦に必要な力は大きくないので、あまり力を使っている自覚がないのかもしれない。
(続く)
(続き)
自分の知る限りでは、ウクレレの入門書には押弦についてあまり詳しくは書いてない。気軽さ・手軽さがウリの楽器だから「小難しいことは抜き」ということなんだろうか。確かにそれである程度は何とかなってしまうのだが。疑問に思ったことを習っている師匠に訊けば何でも教えてくれるけど、プロやセミプロの奏者でもうちの師匠とは違う押弦をしている人がいるし、教えてもらったことをそのままブログに書くというのもどうかというのもあって、自分が納得出来る答えを自分で考えてみている訳である。
ウクレレに似ている楽器を参考にしようとクラシックギターの本を見ても、こちらも詳しく書いてないものが殆どの様だ。ウクレレにしろギターにしろ、弾ける人というのは過去に押弦がどうのとか悩むことなく自然に、直感的に弾けてしまったんじゃないかと邪推する。そうでなかった人は脱落して教則本を書く立場にならないため、大抵は詳しく書く必要を感じない「最初から出来た」人が書いているんではなかろうか。悩んだことがあるならそのことについて書くだろうし。どうも「分る人には分る。分らん奴には説明しても分らん」と言われている様で、気分が悪い。
インターネットで参考になる情報を探しているうちに、「カルレバーロ奏法」というものがあることを知った。実を言うとこのカルレバーロ奏法がそうでないギター奏法とどう違っているのか、どれ位優れているのかよく分らないのだが、他に弾き方を詳しくまとめて解説してあるものが見付からないので、アベル・カルレバーロ本人の著書である『ギター演奏法の原理』を図書館で借りてみた。(本当は買いたかったのだが、既に絶版になっている。)
(続く)