MUSIC

ドレミの歌の憂鬱 2

(前回から続き) 日本では音名も階名も「ドレミファソラシド」だと書いたが、本当は、音名はちゃんと別にある。「ハニホヘトイロハ」というやつだ。確かに、学校で習った気がする。でも、実社会(?)では「ハ長調」や「イ短調」という様な調性の表現に使われる他は、お目にかからない。何故か捨てずにとってあった『中学生の器楽』という教科書を見ると、ギターの開放弦の音高を「ドレミ」で書いてある。教科書の中でさえそうなら、いっそ調性も「ド長調」とか「ラ短調」などにしてほしいものだ。 階名唱法派の人の主張を読むと、本来は階名唱法用に作られた、音の機能を表している「ドレミ」を、音高を歌って覚える為に使うのは何となく引っ掛るが、古臭い「イロハ」を使う気にもなれない。他には、英米式音名表現の「CDEFGABC」を使うことも考えられる。 先日、近くの本屋に『ABC楽譜で表現する ザ・ウクレレ・ソロ 日本の名曲・世界のポピュラー名曲集』という本があったので、「ABC楽譜ってなんだろう?」と思って手に取ってみた。この「ABC楽譜」というのは、オタマジャクシの五線譜以外に、メロディーを英米式の音名で書いてある楽譜ということらしい。慣れていないことも大きいと思うが、アルファベットの長い並びは、分り易い気がしなかった……。しかし、(広義の)ポピュラー音楽ではコードネームの表現はこの英米式(C、Am、 G7など )であり、音名も統一すれば便利なことも多いだろう。では、「ABC」で歌って音の高さを覚える暗譜が良いのだろうか。 「固定ド唱法」というのは英語の “fixed do solfege” の訳であるが、「ABC」という音名が有るのに、どうしてアメリカやイギリスでも、ドをCに固定した「ドレミ」で歌うのだろうか。その理由がはっきり書いてある Web ページや書籍を見付けていないので個人的予想だが、「CDEFGABC」ではメロディーを歌い難いからではないか。Fは「エ・フ」という二音節だし、他は「エー」や「ディー」の様に音を伸ばすので、音符一つ一つを音名で歌おうとすると忙しいことになってしまう。 それに対して「ドレミ」は、そもそも歌うことを目的に作られたものだから、当然歌い易い。曲を歌って覚えるために使用する音名の形式は、結局「ドレミ」ということになりそうだ。これは日本で普通に行なわれていることであろう。ただし、「ドレミファソラシド」だけでは音の違いを表現しきれない。それが日本のソルフェージュの問題で、他所の国はちゃんとその問題に対応しているのである。 (続く)

ドレミの歌の憂鬱 1

聴いたり想像したりした音の高さが瞬時に判れば、暗譜はかなり楽なんじゃないかと思う。残念ながらそれは(今のところ?)出来ないので、音名を歌って覚えることで、その代りにすることを試みる。 ところで、多くの国では音名と階名が明確に区別されているが、日本では音名も階名も「ドレミファソラシド」である。正直言って、学校で習ったことは良く分らなかった。あれが何だったのか、最近ようやく理解した。日本の音楽教育は酷いと思うところがいろいろある。 音名で歌う(覚える)のが良いのか、それとも階名で歌う(覚える)のが良いのかと考えたのだが、「ウクレレで楽譜に沿った演奏をする」のが目的ならば、音名で歌う方(固定ド唱法)が良いかなと思う。変換しながら弾ける気がしないし。 しかし、所謂「絶対音感」が無い私にとっては、音名の長い文字の並びを覚えるのは易しいことではない。間違って歌っていても違和感が無くて、暫く気付かない。ハ長調の曲でも平気で出鱈目に歌えてしまう……。本当の絶対音感は、子供の頃に訓練しないと持てないそうだが、疑似的なもので良いので、この練習を続けたら身に付かないものだろうか。 (続く)

曲を覚えるという事 4

楽器が弾けるということの到達点は何だろうか。実現性を無視して究極的目標を考えてみると、自分にとってのそれは「頭の中で鳴らした音楽を、鼻歌でも歌う様に、苦も無く実際に演奏して再現出来る」ということだ。 現世で実現出来る自信はないが、一応、方向だけはそれを目指すということで、そっち向きで暗譜の練習方法を考える。 曲のメロディーを覚えて、鼻歌で歌うことが出来る様にする 楽譜を見ることなく、メロディーを音名で歌える様にする 覚えたメロディーを楽譜にすることが出来る様にする 楽譜を見ることなく、メロディーのみの演奏が出来る様にする 何も見ずに、メロディーの楽譜にコード・ネームを書き加えることが出来る様にする 各コードのディグリー、機能を書くことが出来る様にする 伴奏として弾くコードの音を、音符としてメロディーの楽譜に書き加えることが出来る様にする 楽譜を見ながら、完成形で弾ける様にする 何も見ずに、完成形で弾ける様にする 以上を第1項より繰り返す 「一年の計は元旦にあり」というが、もう三月も結構過ぎてしまっている。でも、レッスンは四月から始まったので、まだ遅くないということにして、この一年はこんな方針で練習をして行……きたいなぁ……。

曲を覚えるという事 3

『暗譜』には幾つかのの方法があるそうだ。暗譜の不思議というページはそれを「ダンス暗譜」、「音感暗譜」、「理論暗譜」と分類して紹介している。私はピアニストではないので、暗譜をするようにと指導を受けている訳ではない。だが、なかなか本番では楽譜を見ることが出来ず、ここで言う「ダンス暗譜」で弾いてしまっている。そしてこの「ダンス暗譜」の問題点の説明は、自分にいみじくも当て嵌る。「ダンス暗譜」の弊害を避けるには、他の方法をメインに暗譜するか、あるいは暗譜を行わないで弾ける様にするか、ということになるのだろう。 「暗譜を行わないで弾く」というのは、「楽譜を見て得た情報から瞬時に動きを決定する」という感じか。(ダンス暗譜も暗譜だというなら、練習を行う限り、完全に「暗譜を行わないで」というのは出来ない気もするが。)仮にそんな初見演奏的な能力を高めて、暗譜をしないことで演奏会で失敗なく弾ける様になったとする。それは凄いことだけれど、果してそれで満足かというと、違うなぁと思う。 演奏会で成功することが目的でウクレレを弾いているのではない。ウクレレを自在に弾ける様になりたくて演奏会という機会を利用しているのだから、演奏会だけ上手くこなせる様になってもしょうがない。どうなったら「ウクレレを自在に弾ける」ことになるのかと考えてみると、自分の中に曲を取り込むということは避けられそうにない。だから、「ダンス暗譜」以外の方法で曲を覚えるにはどうしたらいいのか、覚えた曲はどうやったら淀み無く演奏出来るのかということが問題で、これらをクリアしない限り、今後自分は大してレベルアップ出来ないだろうと思う。

曲を覚えるという事 2

他の楽器奏者はどんな練習をして演奏に臨むのだろうか。例えば、ピアノを弾いている人は? コンサートやコンクールでは、ピアニストは楽譜を見ていない。暗譜して演奏する。実は、最初からそうだった訳ではないらしい。シューマンの奥さん、クララ・シューマンが暗譜して演奏することを始め、楽譜を見ないで演奏するのは恰好良いということで、定着していったという。そして、楽譜を見ながらのピアノ演奏は、練習が足りてないと評価される様になった。 あの膨大な数の音を発する演奏を行なうピアニスト達は、一体どんな風に曲を覚えているのだろうか。それを参考にすれば、演奏中に次にどう弾けばいいか分らなくなるという様なことを無くせるのではないか。そう思って、『暗譜』というキーワードで検索してみた。 そこから分るのは、意外なことだった。 大半のピアノ奏者にとっての暗譜の方法は、「体が自然に動いて無意識に弾けるまで、緊張しても失敗しない程、何度も弾く」というものであるらしい。何の事はない、(質や量は兎も角)自分のやっていることと同じではないか。自分は反復によって体に動きを覚えさせて演奏出来る様になることを、「曲を覚えた」とは考えても「楽譜を覚えた」のだとは考えたことはない。なので、「暗譜」という言葉がそういうことを(も)差すとは思わず、暗譜をしたピアノ奏者は皆、どの音をどんな順番で弾くのかという情報を記憶しているのだと思っていた。

曲を覚えるという事 1

どうもこのところ、演奏会での出来が悪い。同じ曲で回を重ねる毎に弾けなくなっていっているという、困った状況だ。 ある曲を弾ける様になるためにはまず、楽譜と睨めっこしながら一音づつ読んで弾くことから始めるが、練習を重ねると、フレットの押えるポジションや弾く弦のパターンを体がだんだん覚えて行き、あまり意識しなくてもフレーズを弾ける様になる。そしてそれが継がって、楽譜を見なくても曲を通して弾ける様になる。 体に染み込ませる、体で覚えるというのは、一見とても良い事みたいだが、あまりにも反射的、自動的な『運動の記憶』に頼り過ぎていて、普段は何ということもないのに、人前で畏まって演奏するときには次の『動き』が分らなくなってしまうということが起きる。そしてそういう失敗は、弾いたことがある曲が少なかった以前よりも、今の方が起き易くなっているのではないかとも感じる。 どうしても失敗したくないときは、多少の緊張でも『運動の記憶』の方が勝る程に練習を反復することで何とかしてきたが、レパートリーが増える程に困難が増すのでは、限界がある。ていうか、正直しんどい。もう、違う克服法が必要になっているということだろう。

ロックンローラーの死

今日は忌野清志郎の告別式があったそうだ。久し振りに、持っている唯一の彼のアルバム『TIMERS』を聴く。清志郎といえばRCサクセションだが、自分の中ではタイマーズ。 『TIMERS』は、原発批判の曲を含む『COVERS』が所属レコード会社の親会社で、原発関連の部署がある東芝の圧力で発売中止になったことで結成された覆面バンド「タイマーズ」のファーストアルバム。反原発ソング、発売を中止した偉い人批判ソング、山本コウタロー批判ソングも収録された過激なアルバムだが、先のゴタゴタが明るみに出てしまって止められなかったのだろう、東芝EMIから発売されている。(『COVERS』は後に、移籍したキティレコードから発売される。) もう覚えてないけど、多分このアルバムを買ったのはそんな忌野清志郎のロック魂に共感したからじゃなくて、「デイ・ドリーム・ビリーバー」が聴きたかったからだったと思う。The Monkees の曲のカバー。でも歌詞の内容は全然違う。 もう今は 彼女はどこにもいない 朝はやく 目覚ましがなっても そういつも 彼女とくらしてきたよ ケンカしたり 仲直りしたり ずっと夢を見て 安心してた 僕は Day Dream Believer そんで 彼女は クイーン 忌野清志郎のロックが好きかと聞かれるとちょっと考えてしまうけど、そんな自分でも清志郎がいなくなるのは寂しい。日本にロックンローラーはあと何人いるだろうか。

沖縄の夜

沖縄と言えば、「音楽」ではないだろうか。自分には、沖縄県の各島や奄美諸島が日本中で一番音楽が身近にあるイメージがある。沖縄料理の店で沖縄民謡を少し聴くことが出来た。さて、次は——— 沖縄へ出掛ける前にジャズのライブを聴ける店に行ってみようと幾つかの店を調べておいたので、国際通り界隈を観光しながら場所と雰囲気を確認した。旅行二日目、ドライブ観光をしてから夜の食事もして、さて行ってみるかと思ったが、遅い時間にあまり宿から遠いところも帰ってくるのが大変だなと、比較的近くて名前が気になった『アンダーカレント』という店に入ってみることにした。 この店は調べた中にはなくて、たまたま歩いていて見つけた。ジャズで「アンダーカレント」といえばやっぱり、ビル・エヴァンスとジム・ホールのアルバム、“Undercurrent”から来ているのだろうか。(でもこの店、英語表記だと“Under Current”。)出演者はギーター・トリオで、チラシには曲はスタンダードナンバーやボサノバ等と書いてあった。ジム・ホールはギターのプレイヤーだし、どうもギターに拘った店らしい。ウクレレの「芸の肥」(?)的には曲の傾向もちょっと近いし、ピアノ・トリオ構成とかよりもいいかなと思ったのだ。 適当な店の選び方だったが、結果的には「当たり」だった。ギターの上原高夫氏の演奏は素晴らしく、そして格好良かった。フィンガーボードの上で蝶の様に舞う指が印象的で、NC制御の精密機械的な動きとはまた違ったタイプの超絶技巧を見た。帰ってきてからお店のWebページを見て分ったんだけど、ここはその上原氏の店らしいので、営業日は大抵その演奏を聴くことが出来るはず。我が地元でジャズのライブを聴こうと思ったらちょっと大変そうだけど、沖縄はやっぱり身近に音楽がある様な気がする。那覇に泊まることがあれば寄ってみてはいかがか。 その日は慣れない土地でのドライブで疲れていたこともあって、ライブ後に「ゆんたく」せずすぐに帰ったのがちょっと残念ではある。残りの泡盛を慌てて飲み干してきたからなのか頭痛で目が覚め、さて今日はどんな日になってしまうのかと悩む、そんな沖縄の夜だった。

テネシーワルツ 3

(前回) ジャズの曲で後から歌詞が付くことがよくある様だけど、カントリーのこの曲はどうだったのだろう。どうも、歌詞にこの曲の名が出てくるのは曲が先にあったからではなくて、曲名を印象深くする手法だという気がする。 さて、YouTube にはいろんなアーチストによる『テネシーワルツ』がアップロードされている。幾つかを紹介しよう。(リンク先に跳ぶと音が鳴るので注意。) 先ずはパティ・ペイジ 。テネシーワルツのオリジナルはピー・ウィ・キングとレッド・スチュワートによるものだが、パティ・ペイジが歌ったことで大ヒットしたとのこと。 ・Patti Page - Tennessee Waltz ノラ・ジョーンズとボニー・レイットが歌うテネシーワルツ。格好良い。 ・Bonnie Raitt & Norah Jones~Tennessee Waltz この曲で14歳で(実際は15歳で)デビューした江利チエミ。 ・テネシーワルツ (つづく)