街はすっかり春になったのに、なかなか釣りに行くことが出来ないでいる。来週末もかなり怪しい状況。せめてもと、以前8分割にまで割ってあった竹を更に割る。
16分割以下になると、真っすぐに割れないとオシャカになってしまうものが出る。竹用の鉈を新調したのにかかわらず、なかなか上手く出来ない。ちょっとだけ慣れてきたところで材料が尽き、作業終了となった。
続きの作業をしたときに書くつもりで、ここまで引っ張ってしまったが:
以前、「身近な竹を穫って来て使う場合は、青竹の状態からどうするかという自由があり、工夫の余地があるわけで、日本の竹を使うことを選択したビルダーはそこから研究している。」と書いたが、吉田さんは自ら竹の切り出しに出掛けているとのことで、更に、竹林の管理にもかかわっているとのことである。
・竹林プロジェクト
「竹の子からロッドまで」というコピーがいいですね。
先日、私の巻いたフライを見た方から感想を頂いた。
「つまり『フライ』ってのは『ハエ』のことですか?」
…この人がそういう印象を持ったは、私のフライを巻く腕前の所為であって、実際は『フライ=ハエの毛鉤』ではない。(フライの中にはハエを模したものも無くはない。)このとき涙を拭いつつ思い出したのは、平谷美樹(ひらや・よしき)著の短編小説、『KING OF FLY』のことである。
フライ・フィッシング関連の雑誌に、その名もズバリ『フライの雑誌』というものがある。大抵、一般の書店では扱っておらず、その筋の釣り具屋に行かないと入手できない(そういう意味では)マイナー誌ではあるが、ハウツーが主な内容である他誌とは一線を画し、買っただけでちょっと偉くなった気がする様な、『日本フライ界の権威』的雑誌である。
ある日、そんな『フライの雑誌』を読んでいると短編小説が載っていた。それを読み進むうち、「むむむ、これは変だぞ」と…。釣り雑誌に小説が載っても不思議じゃないが、何が変って、釣り雑誌に不釣り合いな程にクオリティーが高いのだ。フライ・フィッシングの描写も自然で、小説としても面白い。その書き手は、中学校教諭の肩書きの平谷美樹氏であった。
平谷美樹氏の『フライの雑誌』に掲載された幾つかの作品の一つである『KING OF FLY』は、或る大物の魚を狙い続けてもどうしても釣ることが出来ずに苦悩する男が、魔性の者に付入られてしまう話なのだが、この中で、ハエのフライが登場する。“fly”を辞書で引けば一般的な意味では『ハエ』であり、“KING OF FLY”とはフライ・フィッシングのショップの名前であると同時に…
氏はその後『エンデュミオン・エンデュミオン』でメジャーデビューを果たし、『エリ・エリ』で第1回小松左京賞大賞を受賞と、大活躍されているそうである。SF系作品が文庫本で出たら読みたいと思っているのだが、今の所、文庫本で出ているのは怪談物だけの様で、躊躇している。ただでさえ他の作品『恐怖の一夜』のお陰で、釣り場で時々怖い思いをさせられているのに…
参考リンク:
平谷美樹・私設ファンページ
角川春樹事務所-平谷美樹ショートショート on Web
ところで、河原でこんなものを見つけた。
道から川面に塩ビ・パイプが延びている。初めて見たが、おそらく魚を放流するためのものではないだろうか。他所の地域にはあります?
稚魚をドバッと流し込むのか、それとも成魚を一匹ずつなのか。
今年最初の渓流釣りは、今まで行ったことのない川にした。近場開拓で、いわゆる里川タイプ。釣果は『零匹』。今年も現実は厳しい。
他の釣り人たちも苦戦しているらしく、川の横を走る道を右往左往している。年券(今シーズン有効の釣り券)を買った餌釣り師も、あまりの反応の無さに今後が心配そうだった。自分にとっては魚が釣れないことはちっとも珍しくないが、この川の常連が首を捻る事態ということは…
岐阜の川には鮎や渓流魚を川鵜に食べられ、釣りにならない所があるという話は聞いていた。よく行く川では川鵜を見かけないのでピンとこなかったのだけど、今日の川にはそういえば居た。関係あるのだろうか。
今年初めてフライを巻いた。もうそろそろ行きますかね。
ブラウン・パラシュート #14
少林寺、恐るべし。
・少林寺の食事風景
ここにでてくる『今週の当番』とは、のりたまの当番のことですな。でも、七味当番とか、胡椒当番とかは有りそうな…
先日、気になる存在と書いた古武術家の甲野善紀氏のウェッブ・サイトを観てみると、直球ど真ん中な本が出たことが分かった。
『中国武術で驚異のカラダ革命』
これは探さねば。もう完全に『鴨』である。
参考リンク: 松聲館
ちょっと説明のために:
2回ほど、フライで鯉を釣りに行ったことがある。その時作ったフライ。(ゴ…)
鯉を釣るのもなかなか難しかった。今度行くことがあったら、オマジナイを唱えながらフライを結んでみようと思う。
「王妃さま、民衆は今日食べるパンもないのです。」
「まぁ、パンがなければ…」
今日2004年3月17日の朝日新聞に、『「他者」を感じる、身体の声に耳傾ける… ダンサー、武術に熱視線』として、コンテンポラリーダンスの振付家やダンサーが、カポエイラ、中国武術、日本の古武術など、各武術に刺激を受けて取り入れているという記事が載っていた。正直、前衛的なダンスのことはよく分からないのだけれど−−
紹介されている一人山田うんというアーチストは、私の通う太極拳教室でも話題の、最近テレビや書籍でよく登場する古武術家、甲野善紀氏の道場に通っているとのこと。甲野氏の古武術は、太極拳理論にとても近い様でありながら、正反対の様でもあり、とても気になる存在だ。
太極拳は『格闘技』として誕生して当然現在もそうであるが、一般的には『健康体操』というイメージを持たれている。また、『踊り/舞』の様にも見える。何れか一つが正しいというのではなく、太極拳は健康体操であり、格闘技であり、ダンスでもある、ということだと思う。記事中の神戸女学院大学内田樹教授の言葉「武術は身体の感度を上げ、他者が送る微妙な『信号』を五感を超えて受信する力を高める」は太極拳にもよく当てはまり、格闘技と健康体操とダンスの関連性をいみじくも表現している。
不思議な商品を発見。
どのあたりが太極拳なのか謎。「 この商品に関する感想、および質問をお書きください」とあるので、訊いてみるべきか。