オサカナ・ロンダリング

3月に入って早一週間。この2月から3月頭でほとんどの渓流では解禁になって、釣り場情報も入る様になった。けれども自分の釣りは、まだ始まらない。私には、この時期に釣りをするのに足りないものが二つもある。

この時期、渓流釣りは早くもピークを迎える。解禁になると釣り人の需要に応えるため、漁協が多くの魚を放流するからだ。放流する場所は、魚の運搬上の制約によって限られてくる。釣り人はその放流ポイントで、漁協の車が来るのを待つ。養鱒場で育てられた魚たちは川の流れを知らない。また水温の低さもあって、放流された魚たちは体力の消耗が少ない場所で四散することなく群れている。大勢の釣り人たちがそんな数少ないポイントで、捧げられし生け贄の争奪戦を繰り広げるのだ。戦い抜く勇気無き者、即刻退くべし!

漁協が釣り人のために魚を放流し、釣り人がその魚を得るために釣りをするのなら、漁協からバケツで魚を受け取ったら良いと言うかもしれないが、そこが釣り人が釣り人たるところで、それでは釣り人ではなくなってしまう。外国から輸入した貝類を日本の干潟に撒いて後日回収すると、それは『国産』として市場に出回るそうである。元が同じ魚でも、自分で釣れば、もうそれはスーパーのトレイに乗っている魚とは… (『釣り』の持つ暗黒面に気をつけろ。May the Force be with you. )

皆が皆、そんな魚を追い回している訳ではない。川にはそこで冬を越した魚たちも居る。もちろん連中も命の維持のために食事をしているので、釣りが成立する可能性はある。けれども、悪い条件の中でこの様な魚たちを釣るのには、『腕』がなくてはならない。

というわけで『根性』と『腕』を欠く私は、渓流に遅い春が来るまで待機中なのである。