WE LOVE NATURE
今日は社会派路線でいってみよう。
10月3日朝日新聞の夕刊に『アユに振られた夏』として、東海地区の鮎が不漁で関係者が苦慮している様子の記事が出ていた。自分の口に入る塩焼きの数から、今年の不漁具合はよく知っている。釣り道具の業界でも鮎はドル箱のはずで、この状態では売り上げも上がらないことだろう。
そんな訳で、鮎釣りを愛する人にとっても厳しいシーズンという話なのだが、この記事の中で非常に気になるのは…
『川で釣れる「天然アユ」の多くは、各漁協が4〜5月に稚魚を放流し、河川でコケを食べて成長したアユだ。(中略)天然アユには、秋に卵がかえった後、海へ下り、再び川をさかのぼる「遡上アユ」もある。』(2003年10月3日朝日新聞夕刊)
うーむ、朝日新聞…
「遡上アユ」が「天然アユ」なのは異論が無い様に思われるが、そうでない方の「天然アユ」の定義に疑問を持たない人は、釣り人か漁協組合員か、あるいは鮎を販売する立場にある人だろう。その人たちは、自分に対してそんな暗示をかける事情があったのではないか。
その理屈は多分、『「天然アユ」である「遡上アユ」に対して、外見や味で分けることが出来ないアユは「天然アユ」と呼んで何も問題ない。イケスで養殖してないし。』というところだろう。確かに区別して出荷することが出来ないのだからそれが現実的だ、と言えなくもない。が、それは『建前』というもので、「天然(アユ)」が「非天然(アユ)」よりも心理的に(その結果、金銭的にも)価値が高いということが背景にある。それに、「遡上アユ」の存在が困難な地域では、「天然アユ」は居ないということになってしまう。そこで、上の様な定義が共有されているのだろう。
そういえば、養殖魚の育て方の表現に、『天然仕上げ』というのがあるらしい。