相手の土俵

ここ数年、大晦日は格闘技番組が目白押しだ。特に格闘技好きという訳でもなく、実況席の女性タレントのはしゃぎ様を見ると「なんだかなぁ」とか思うのだが、『紅白』もまた面白くなさそうだし、どうにか零時までに終わらせたい大掃除をしながら、その手の番組を観ていた。

健康とウンチク・ネタのために太極拳を続けているが、『格闘技』として太極拳はどうなのかというと、私の戦闘能力が上がったということは…ないな。一般的なイメージでも『使えない武術』ナンバー・ワンじゃないだろうか。でも「それは武術として取り組んでいないからで、奥義を究めれば太極拳こそ最強である」と考える人達もいる。私としても、出来ることならそうあってほしいと思う。自分が全然強くならなくても、その方が精神衛生上よろしい。

太極拳を含む中国武術が最強だとするとK-1やPRIDEを席巻してもよさそうなものだが、実際はそうなっていない。空手系の選手は善戦しているとは思うけど、闘っている様を見ると「あれは空手なの?」という疑問が湧いてくる。正拳突きはどこに行ったのだろう? そういえば、『相撲最強説』というのもあった様な…

この年末に、それらの事について書いている『武術の構造 もしくは太極拳を実際に使うために』という本を読んだ。なかなか面白かった。『武術』を修行している人は拒否反応を示すかもしれないが、私は著者の主張は至極真っ当だと感じた。簡単に言うと、こういうことだろう。

総合格闘技の競技で武術系の選手が勝てなかったり、スタイルがボクシングやムエタイのものになるのは訳がある。スタイルはルールが決めるのである。ルール(想定状況)に一番適合したスタイルが一番強い。ルールが変われば、スタイルも変わる。『総合格闘技』戦でそれぞれの武術そのものの優劣は決められない。

確かに。ボクシングやキック、ムエタイの選手が先に存在して、それをリングに上げた訳じゃない。それぞれのリングのルールで最適化を繰り返したものがボクシングやムエタイなのだから。そして、想定状況が近いそれらの『総合格闘技』への適合度は高くなる。

続く